今年35歳、ASD女性による弱々職歴を書いてみる②~コールセンターで道を誤った話

真リオです。
前回(記事リンク)は、大学卒業後のキャリアの貧弱さ、病気に至った経緯を書きました。
今回はその後のお話です。なるべく長ったらしく続かないように書いてまいります。
コールセンターで働き始めた
結局は、就職支援プログラム事業で就職に至ることはありませんでした。
体調を崩したし、「事務所に待機しながらひたすら応募」もしんどかったし。
その後は、親に甘えさせていただきながら、資格を取るスクールに通わせてもらいました。
「MOSのWord、Excel(2010ですよ、古!)」に、「日商簿記検定3級」そして「普通自動車免許」です。
スクールや自動車学校に通いながらできるパートタイムのお仕事として「コールセンター」を選びました。
だって札幌はコールセンターの街
札幌市が企業のコールセンターを誘致し「地価が安い」「訛りが少ない」などで重宝されていることは、その他の地域でもきっと有名だと思います。
当時は特に、タウンワークを開けば、目立つのはコールセンターばかり。お給料や条件も良さげ。
そこで私は誤学習しました。
「社会人たるもの、コールセンターくらい軽々とこなせるようでないとなあ」。
……本当はそんなことないんですけどね。
私が選んだのは、大手通販小売事業者の傘下で、通販受注やお問い合わせ対応をするセンターでした。
お時給はやや安めでしたが、多様なシフトで働けます。
ヘッドセットをつけて、椅子に座って、ひたすらお電話をお受けする……!
研修は、接客業を行ってきたため、敬語はお手の物です。
時に「ヘンタイキモ男性」「正気を失った老女」に遭遇しながらのお仕事でした。
そこで見つかった課題と「思い出したこと」
お仕事は、社会不安のある私としては内心戦々恐々でしたが、ぼちぼちでした。
マニュアルにあるようなトークスクリプトを読みながら、なんとか受注のための情報をヒアリングし、クローズへ。
ただ、そこで上長やリーダーから指摘されはじめたことがあります。
「話し方が一本調子だ」と。
多分、学生時代は普通にしゃべってきていたと思います。
しかしながら、学生時代の後半で人と喋らなくなったこと。そして社会に出て、問題ない振る舞いをしなくては、というストレスを受けてきたことで、私は「本来の私」を失ってしまったようなのです。
幼少期に、クラスの人に話しかけても「え!?聞こえな~いwww」「何言ってんだw」といういじめを受けた名残もあります。
とにかく、他者のために、明瞭で聞き返されないこと、はっきり伝わる喋り方を目指していた。
もちろんASD自閉スペクトラム症による奇妙さも多分にあったと思います。
とにかく、当時の私は一本調子でしか喋れない、不思議な人でした。
あるお客様には「声が素敵ね」と褒められることもあったけど、レアケースで、上長やリーダーからいつも「声の一本調子さ」を指摘される日々。
そこで私は、ある考えに至りました。
「声優さんの養成所に行けば改善できるかな?」
と。
そこから、幼少期の蓋をしていた記憶を思い出しました。
幼稚園頃の私は、「自分のことを可愛い、悪くない顔だ」と思っていたのです。
で、大多数の女児が思うように、芸能人になりたかった。
でも、地方都市の幼児は、自閉症のある女児は、何をどうすれば芸能人になれるかわからなかったんだよね。
そんな漠然とした「私は悪くないルックスだ」という思いをなんと小学3年生あたりまで持っていたのですが、とある現実に直面しました。
当時私は、学研の学年誌を購読していました。
なんと「科学」「学習」のダブル購読です!
あれは「三年の学習」の5月号とかそこらだったと思います。
ドキュメンタリーマンガ記事として「国民的美少女コンテストに出てデビューに至った佐藤藍子さん」の特集が掲載されました。
そこで、小学生の私は初めて「オーディション」の存在を知ったのです。
(余計なことだけど、「お仏壇の前の紫色のサテンの座布団に座っていた」ことを思い出せます笑)
それはそれは衝撃でした。
そりゃそうだ、女の子がこの世界にいくらいるだろう。
この町だけでなく、遠くの街、離れた地域。
そこから選別される、期待を持てる価値ある美少女……。
何千人のうちの、限られたポスト。
「私は、エラい大人が価値を見出すだけのものを持っているのか?」
そして「周囲にあふれるモノの数々は、工場で生産され『合格』したものだけ流通している」ことにも思い至ります。
このことは、今まで持っていた容姿への傲慢さを強く恥じるとともに、わりと重篤な「社会不安」をもたらしました。
多分ASD特性によるものもあるかもしれません。
私は根暗になりました。
お庭で縄跳びをしていても、人が家の前を通るたびに隠れるようになりました。
いじめも受けるようになったし、オタクにもなったし、当時は2000年前後の、「電車男」以前で中川翔子さんもブレイク前だったあたり。
とにかく暗黒だよね……!
高校も、実は演劇部に入りたかったけど、訳あって遠方の学校だったから「帰りが遅くなるといけないよね」と断念。
大学でも「役者セクションをやるには他サークルとの兼部はダメ」というルールがあって、軽音楽部もやりたかったから諦めて裏方で衣装作りをしていたのです。
コールセンターでのお仕事は向き・不向きが激しい!
話がだいぶ逸れました。
コールセンターで働き始めて、欠点を指摘されたことから過去のトラウマがうずいて人生が変な方向に行ったんです。
当時24歳ぐらいでしたが、「お芝居がしたい」「おばあちゃんになってお布団の上で後悔しながら死にたくない」ということで、「活動」し始めたのです。
「活動」の内容はここでは省きます。あくまで私のキャリアについての記事だからね。
やはり「活動」をするにあたって、シフトや時給の条件面が良く、見た目や服装についてもおおらかなコールセンター現場は「活動する人々」にとって優しい勤務先といえるでしょう。派手髪さんやロリータさんもおられます。
とはいえ、お仕事内容はなかなか大変です。
当然のことながら、やりとりは全部お電話です。
発音が舌足らずだったり、訛ってる場合もあり、聞き取れなかったら丁寧に聞き返す必要もある。
お客様のテンションも様々、怒っていらっしゃる場合もございます。
要求をお聞きしたうえで、対応できることはする、承知しかねる場合はその旨をなんとかお伝えする必要がある。
敬語で。丁寧に。
そのため、人によってはどうしても不適応を起こす、向いていないって場合も珍しくありません。
私もいくつもの現場を渡り歩きました。
体調の都合や、現場での業務適応が困難で別の部署に異動したケース、派遣でそもそも短期間の雇用の場合があったり、契約更改せずってケース、などなど。
コールセンターは、決して簡単なお仕事じゃありません。
ASD自閉スペクトラム症の当事者なら、なおさら不得手に思う人は多いと思います。
私は脳の発達的に「ご案内すべきことを瞬時に言葉に変換して口にする」のにちょっとだけ時間がかかるらしく、話し方だけでない苦労がありました。
ただ!時々どういうわけかコールセンターのお仕事が簡単すぎてどんどん仕事ができちゃう「コルセンエリート(勝手な造語)」がおられます。
ASD特性ありの人でも、コールセンターのお仕事が全然向いてる、って場合も中にはあるようです。
インバウンド(受電)とアウトバウンド(発信)の差もありますが、結局は「現場と業種・要求されるスキルによる」ところがありますね。
「定型的な応対とシステム入力」が主な現場なら、まあイケるって人はいるかもしれない。
逆に「オペレーターへの権限が大きく、対応範囲が広い現場」だったら、すごく頭を使うと思います。
思ったことをすぐ口にできるタイプの、喋るのが得意なタイプの人はすごく有利だろうなあ。
もしコールセンターのメリットが気になる方は、未経験の人でもぜひ勇気を出して挑戦してみてほしいです。
その後の私のキャリア、続き
私が初期に「活動」していたのは、2015年~2017年あたりでしたね。
当時はコールセンターのお仕事を、採用されて辞めて、を繰り返していました。
コールセンターで採用されて職歴ができると、なかなかそれ以外の職種に転職しづらいってことは、やっぱりちょっと言えます。
単に私のASD特性が強くてビビられるから、って理由もあるかもしれませんが。
でね、2018年のお正月あたりだったと思います。
「活動」に挫折しました。
これもけっこう心にくる出来事でしたが、本筋を離れるし、今はまだ内緒です。
「活動」を辞めるってなっても、当然命があれば人生は続くからね、当時の私はキャリアに悩みました。
またコールセンターで働くのはイヤだなあ……!って思ったのですよ。
私の職歴のお話シリーズ、多分次の「③」で終わると良いなあ。
以上、真リオでした。
読んでくださってありがとうございます!